かえつ有明中高内には、教員組織の中に「世界が認めた『知の理論』」プロジェクトという教科研究会が存在します。
この教科ではクリティカルに思考して、知るプロセスを探究します。「知っている」とはどういうことかを疑うための知識で、知識を創出するための知識とも言えます。
ルールに従うことを学ぶのではなく、ルールそのものを疑い、ルールを創ることを学ぶ教科とも言えます。
混沌とした現代、先の見えない未来にあっては、正解のない問いに対することは多くあります。大人社会はその連続と言っても良いでしょう。十分な知識・技能を前提としながらも、それを使いこなすことも必要です。その時の助けになるのがこの「世界が認めた『知の理論』」という考え方です。
現在のかえつ有明中高では、英語の取り出し授業の最上級クラスであるEnglish Honors ClassではPhilosophyの授業を行っています。
そのような特別のクラスだけでなく、一般のクラスにも、「世界が認めた『知の理論』」の考え方を用いることができるかの研究を行っているのが「世界が認めた『知の理論』」プロジェクトです。
そんな本校に、「世界が認めた『知の理論』」の大家である東京学芸大学教職大学院准教授のダッタ・シャミ先生が講師として来校され、勉強会を行ってくださいました。
ダッタ先生は、インド・ニューデリーのご出身で、科目は日本史の先生です。13歳の時に来日されたそうで、高校の時の先生の影響を受け、教員となったそうです。
勉強会は全3部で行われました。
第1部 「世界が認めた『知の理論』」・新学習指導要領についてのご講演
第2部 ダッタ先生による「世界が認めた『知の理論』」模擬授業(教員は生徒役)
第3部 本校教員の「世界が認めた『知の理論』」の授業を3つご覧いただいてのご講評
第1部では、
なぜ主体的学びなのか、そしてそれが何を意味するのか、どんな形があり得るのか、さらには予測不可能と言われるグローバル時代におけるスキルとはどのようなものなのか、それらを学ぶ授業、学校にはどんな環境が必要かについて語っていただきました。
そもそも「世界が認めた『知の理論』」自体は、多様な文化の理解と尊重の精神を通じて、より良い、より平和な世界を築くことに貢献する探究心・知識・思いやりに富んだ若者の育成を目的とした世界標準のカリキュラムの中の教科です。
そこでは、知的成長や学習面の成功にとどまらない、人間としての幅広い能力と責任感を育むことを目的としています。
そのような壮大な目的の下に創られた教科を学ぶことは、「生徒一人ひとりが持つ個性と才能を生かして、より良い世界を創り出すために主体的に行動できる人間へと成長できる基盤の育成」を教育理念としている本校にとっては非常に有意義なものなのです。
第2部では「間接民主主義は時代遅れなのか?」という問いに対して、教員が生徒役となって、1グループ4名で考えました。
先ずは一人ひとりが自分の意見を持ち、それを書き出します。
次にグループ全員に通じるコアな意見を取りだします。
そしてグループとしての意見をまとめました。
対象が教員で、かつ勉強会なので短時間での発表となりましたが、熱い議論がそれぞれのグループで繰り広げられました。
発表では、短時間での議論ではあったものの、そこはプレゼン力で補い、質の高いプレゼンが行われました。また一人ひとりが真剣に考えている証拠に、鋭い質問がぶつけられ、さながら大学のゼミのような雰囲気になってきました。そこには先輩も後輩もなく、一人ひとりの学ぶ徒がいるだけでした。
校長先生の私も発表者の一人でしたが、校長だからと言ってこの場では同じ議論を共にする一員という雰囲気で、遠慮や忖度はありませんでした(笑)。
かつて存在した松下村塾はこのような雰囲気だったのかしれません。
4時間半という短い時間での会でしたが、ダッタ先生がかえつ有明に残してくれたものは非常に大きなものでした。
「正解のない問いに答える」というのは流行語のように用いられていますが、簡単に生徒に伝えられるものではありません。教育にこそ正解はないのかもしれません。私たち教員自身が知っていることを疑い、そして創出していかなければなりません。
生徒と対する毎日の中で、自分自身を高めていく、それは教員の務めです。
本校のスローガンの「進化するかえつ有明」は、教員自身が進化するという意味でもあるのです。