【かえつ有明2020】~石川校長のビジョン(13)~学校を選択するということ

DATE : 2015/8/20

学校を選択するということ

 

夏休みになると、親戚や旧友に会う機会が多くなり、その際に学校選びについて相談されたりします。先方は、こちらが長らく教員をやっていて、今は校長職にいるということもあって、さぞかし良いアドバイスをもらえるだろうという期待があるようなのですが、こういった相談に回答するのは意外に難しいものです。

 

 例えば、私学を選ぶということのメリットを説くということにしても、ロジカルな説明だけでうまく語ることはできない。住んでいる場所からの距離はどうか、大学進学実績がどれくらいか、学費はどうか…。そういうロジカルな計算だけでは決して決められないわけです。

 

物を買ったり食事をするというのであれば、実際に比較してみたり、それこそネット上の評判や星の数みたいなものをもとに、ある程度判断することができます。しかし、学校選びというのは、相対的な評価を下すことが難しい。どれか一つの学校を選べば、他の学校を経験することはできないわけです。人生の選択と同じで、この道を選ばなかったらどうなったかと考えても、それは空想でしかないわけですね。

 

 そんな風に考えると、最終的には自分が良いと思う学校を選ぶしかないよと、アドバイスとしてはいささか頼りないものにならざるを得ないわけです。つまり、論理的に正解を出す性質のものではなく、なんとなくこれが良さそうだという感性、あるいは自分の価値観のようなものを信じて決めるしかない。そしてここがよいと決めたら、あとは実際にその環境が子どもにとってプラスになるように頭の切り替えを行うことです。

 

よく保護者の方が「わが子を学校にお預けする」という言い方をされることがありますが、感覚としてはそのようなことが近いのではないかと思います。そして、預ける以上は、その環境が子どもにとって最良なものになるように、時には学校との対話が必要なこともあるかもしれないし、あるいは協力することも必要になるのかもしれない。

 

 私学を選ぶということには、そのような相互の信頼が底流にあるわけですね。学校説明会などでは、その部分はすでに共有されている中でお話させていただくので、あまり意識することはないのですが、私学を選ぶべきかどうかということも含めて知人から相談を受ける際には、まずそのあたりが急に意識されて、ロジカルに答えることにとまどいを感じるわけです。

 

結局は、他人の評価軸に振り回されずに、自分の軸を確立することが大切だということになります。そして、ロジカルだけではなく、感性を働かせることです。現在の子どもの状況を論理的に分析することも必要でしょうが、むしろ未来を想像し、子どもの潜在的な可能性が開かれる場として学校を考えることです。

 

学校選びはまさに答えのない問いで、それを考えることは極めてリベラルアーツ的だと言えるのかもしれません。

 

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