部活動で得られる副産物
毎年夏の暑い季節になると、野球部に所属して部活動に励んでいた時代のことを思い出
します。そして、教員になって部活の顧問をやっていた経験からも思うのですが、部活と
いうのは、生徒はもちろん、指導者も本当にのめり込むんです。
指導者がなぜそれほど部活にのめり込むのかと言うと、メンバーとチームの成長が感じ
られるからなのでしょう。生徒一人ひとりの技術的、精神的な成長を実感するし、チーム
として徐々にまとまってくる感じを持つわけです。目標とする大会に向けて仕上がってき
たという実感です。
農業であれば、種まきから収穫、そして出荷ということが1年で一段落し、また翌年に向
けての準備が始まるというサイクルがありますね。部活にも似たようなところがあって、
だいたいの大会は1年周期で開催され、運動部なんかはその大会を目指して、チームの調
整をしていくことが多いわけです。すると指導者の感覚としては、まさに手塩に育ててき
たという思いが強くなってきます。
部活は時間も取られるし、苦労も多いのに、なぜ先生がのめり込むのかと言えば、まさ
にこの感覚が味わえるからだと言ってよいと思います。
生徒の方でも部活を通して貴重な体験をします。実力以上の結果が出せて感動すること
もあれば、あるいは怪我のために、それまでの努力が無駄だったと思えてしまうような不
運もあるかもしれない。言うならば、喜びと悲しみ、そして不条理などといった感情が1年
の中に凝縮して詰まっているわけです。
こういった体験が人間的な成長につながるのは間違いないでしょう。まして大会ともな
れば、優勝者以外は必ずどこかで敗北を経験するわけです。それを味わうことが学びとな
る。自分たちに何かが足りなかったということを突きつけられるわけです。努力がどうい
うことか、仲間と取り組むというのがどういうことか、そして物事には相手がいるという
ことも学ぶのですね。
文化部にしても、出展作品を作ったりコンクールへの出場を目指したりといった目標を
持つと思います。そういう意味では運動部と同様、自分が打ち込める何かに向かって、仲
間と切磋琢磨し、時にライバル関係になったりしながら、少しずつ進歩している自分を感
じるというのは、運動部と同様です。
それほど打ち込んでしまう部活ですが、一方で、部活での取り組みが将来の自分の職業
につながる人なんていうのは、本当にわずかしかいないというのも現実です。このことも
同時に押さえておくことです。部活ですべて完結するわけではない。部活を通して副産物
を得るという点が大切です。指導者に求められるのはそのあたりのバランスなのだと思い
ます。
ちょうど夏休みのこの時期、どの部活も一生懸命頑張っているところですから、少しだ
けエールを送るつもりで部活の話をしてみたくなりました。試合に勝つということだけで
なく、副産物を楽しもうという感覚を活かしながら取り組んでほしいと思います。