アクティブラーニングについて(1)
ビスマルクの言葉で、「愚者は経験からしか学ばない、賢者は歴史から学ぶ」という格言があります。愚者や賢者という言い方は少々気になりますが、自分だけの狭い経験より、先人の経験や知恵が詰まっている歴史に目を向けなさいという意味だと解釈しています。
流行りのアクティブラーニングについて考えていたときに、この格言をふと思い出しました。というのも、アクティブラーニングというと、従来の教科学習の否定のように受け止められることがあって、生徒が学び合っているのを教員がファシリテートするという授業スタイルばかりに目が行きがちなのではないかと思うのです。
生徒が学び合うことは大事ですが、とはいっても、そこに教科的知識の裏付けがないと、単に自分たちのわずかな経験を共有することで終わってしまう。歴史にしろ、化学や物理や数学にしろ、先人が試行錯誤しながら築いてきた知識の体系なのであり、そこには個人の経験ではとてもカバーできない知恵が詰まっているわけです。その知恵の集積をインプットしておくことは決して無意味なことではありません。
確かにただ知識を蓄積して、言われたこと書かれていることを何でも鵜呑みにするような勉強はよくないけれど、これからの学びが目指していることは、知識をどのように活用していくかということです。幅広い領域に興味や関心を持つことはもちろん、知識を断片として保存するのではなく考える材料に変換していくことが問われているのです。
せっかくアクティブラーニングという新しい教育の流れが出てきたのですから、かつて民主党が公約した「子ども手当」みたいに、いつの間にか立ち消えになっていたなどということにならないように本校では正しく盛り上げていきたいと考えます。
「授業スタイルがアクティブ」だからアクティブラーニングなのではなく、「脳をアクティブに働かせる」からアクティブラーニングなのです。一見静かに淡々と進行しているような授業でも、生徒が脳を活発に働かせている授業があります。そういう授業では、生徒の興味を引き出す何かしらのきっかけがあったはずです。それはそれで立派なアクティブラーニングだと思うわけです。
そういう意味では知識を習得する授業も大いに必要です。重箱の隅をつつくような、些末な知識を問うテストになることがまずいのであって、知識を構造化しながら、他の知識とのネットワークを広げていくことは、学びの重要な要素だと言えるでしょう。
(続く)