これまで副校長として【かえつ有明2020】のビジョンを語っていただいた石川先生がこの4月より新しく校長に就任しました。これを機に今までのシリーズを、「【かえつ有明2020】~石川校長のビジョン~」として再スタートします。
未来からの留学生を迎えて
「未来からの留学生」というのは、未来を生きる子どもたちのことを指しています。将来を生きていく存在なのだから、私たち教員は、「今ここ」を教えることで満足するのではなく、未来に役立つことを学べる場を提供する存在でありたいと思います。
2045年には、人工知能が人間を超えると言われています。子どもたちはそういう時代を生き抜いていく必要があるのだということを視野に入れなければなりません。
今回は、自分自身のこれまでの生い立ちも含め、かえつ有明がどのような教育を提供しようとしているのかということについて、先日教員全員で共有した内容をお話させていただきます。
帰国生としての体験
私は、小学生のとき海外に暮らしていた「帰国生」です。ニューヨークに家族が滞在していて、現地校に通っていました。現地ではフレンドリーに受け入れられていて、まあ楽しい生活を送っていましたが、小学3年生で戻ってきたときに、うまく日本の学校に適応できず、苦労をしました。
英語でしゃべってくれというリクエストに応えたら、ワーッと引かれてしまったり、アメリカでしていたように自己主張していたら、みんなからはじかれてしまったり…と、そういう経験をする中で、やはり日本では、みんなに合わせて生きていかなければいけないということを学んだわけです。それで英語は封印しました。今から思うと勿体ないことをしたなと感じるのですが、逆にだからこそ、そういう帰国生にはなってほしくないという思いが強くあります。
これは帰国生に限った話ではなく、人というのは他人に言えない苦しみのようなものがあって、時にはそこをきちんと見て、受け止めてあげるということが大事だと思うのです。そういう能力は、自分の場合、その9歳の時の体験によって育まれたと思います。災い転じて福となすということかもしれません。
教員志望
まあそうは言っても、教育学部を志望して本格的に教員になろうと考えるようになったきっかけというのはくだらない話なのだけど、文化祭で劇をやることになって、その劇で先生役を与えられたことだったのです。
家族に教員がいたわけでもないし、誰か尊敬する先生との出会いがあって、こういう先生になりたいという憧れがあったわけでもないのです。
たまたま脚本を書いていた友人から先生役を拝命したわけですが、その友人はなんとなくその役を私に向いていると感じたのでしょう。私の方でも、結構アドリブでセリフをこなしたりして、生徒に前にして何かを語っている自分というのが、しっくりきたわけですね。つまり、何が言いたいかというと、自分の才能とか、向き不向きというのは、自分だけで気づくということはあまりなくて、本であったり、友人であったり、たまたま出会った何かがそのような将来を切り開くことが往々にしてあるということなのです。
学校というのも、そういう場であるといいなと思うわけです。卒業生がたまに学校に遊びにきて、話をしていってくれますが、先生から紹介してもらった本にインスパイアされて宇宙物理に興味を持ったとか、TOKの授業に影響されて哲学を勉強しているといったことを耳にすると、うれしくなります。
中高の6年間の中で、可能性と出会える機会が提供できれば、学校というのはそれでいいのではないか、学校の存在意義はそこにあるのではないかと思うのです。
教員生活
私の教員生活は、とある全寮制の男子校で始まりました。時代も時代ですから、今思うと極めて管理的な教育環境で勤務しました。
朝は5時55分に生徒を起こして、それから体操をやって、授業をやって、放課後は部活をやって、夜の勉強を指導して、寝かせるという毎日が続きました。教員と舎監の兼任です。
あれは大変でしたね。でも面白かったですよ。当時は若かったし、子どもたちを24時間フルサポートで見られるわけですから。でも10年くらい続けて、途中で体を壊して、だんだんギアを落としていかざるを得なくなりました。
そのころから、大学入試に向けてガンガン指導して結果を出すとか、生徒の勉強にずっと付き合ってあげるとかということが果たして本当に生徒のためなのだろうか、とか、これが自分のやりたいことだったのかなと疑問を持つようになったのです。
ちょうど、少子化が顕著になり、大学全入時代と言われるようになってきた頃で、同時に、バブル崩壊後の不況によって、努力さえしていれば将来の道が開けるといった楽観的な時代が過ぎ去ったように思われた頃でした。
募集担当
そのころ自分は募集担当ということで外の世界を回っていたので、世の中の動きを敏感にキャッチすることと、学校文化の変わらぬ良いところをうまく融合する必要性を感じていました。
学校の中だけにいると、どうしても、前から実施していることを変えるよりも、これまでのことを踏襲していこうという方向を選びがちなのですが、改革を怠っていると、世の中の動きに後れをとってしまいます。そして、いったん遅れが生じてしまうとそれを取り戻すことはものすごく大変だということをこれも身をもって知ったわけです。
募集担当として、私学の魅力とはどういうことかということを考えました。当時は、私学というのは、スポーツで人気があるか、進学校であるか、それとも文武両道であるか、という大体3つのカテゴリーにタイプ分けできたのですが、それ以外の特徴を私学に持たせたくて、学びの場としての学校という考えに行きついたのです。
それは、先生が教え込むというよりは、生徒が自ら本を読んだり、調べたり、上級生が下級生に教えたり、仲間同士が議論したりといった、いわば幕末の私塾のようなイメージの学校です。自ら学ぶというコンセプトだったのですが、まだ方法論は手探りでした。
その後アメリカに渡って日本人子女を教える機会があったり、様々な人と出会ったりする中で、今かえつで推進しているクリティカルシンキングやアクティブラーニングの方法論に結実していったわけです。
21世紀の私学の学び
今日強調しておきたいことは、「自らの可能性に出会い、世界に貢献する人材育成」ということです。かえつ有明の教員として21世紀を切り開く生徒たちを教育する上で心にとめておいてほしいことです。
「自らの可能性に出会う」というのは、人間は何かの才能を与えられて、ここに存在していて、どんな人間もその才能を活かすために世の中に貢献できるという考え方に基づいています。
人間はだれでも才能を持つ者として存在していて、学校というのはそういう才能に出会う場であるということです。ある時にはそれは友人に気づかされるかもしれないし、自分で気づくのかもしれない、あるいは、卒業してから自分の才能に出会うのかもしれないけれど、その種は、この中高時代に撒かれているのだということです。
リベラルアーツにおける自由というのは、そういうところに由来するのだと思います。学ぶことによって自分の可能性を見つけ、学ぶことを通して実現される。学べば学ぶほど、可能性の幅が広がるわけです。だからこそ、教員も学び続ける必要があります。
学びは論理的な事柄に限りません。心を動かされるような物事に敏感であること、「ああ、これはいいな。すごいな」と思う瞬間を大事にすることが感性を育むのです。
それともう一つ。多種多様な人と出会うということも大事にしてほしいことです。自分が嫌だと思う人を好きになれとまでは言いませんが、認めて受け入れることです。グローバルというのは、そこから始まるのだと思うのです。