
新年あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。さて、今回は、年末にお話しした反戦教育とクリティカルシンキングの話の続きです。
情報を正しく判断するためにはクリティカルシンキングが必要だということ、そしてその前提として、自分なりの哲学、自分軸をしっかり持っておくことの重要性について前回お話をしました。そして自分軸をより確固たるものにするためには、他人と意見を交換することが大切で、アクティブラーニングということの有効性もそこにあるというお話でした。
知識を得ることとアクティブラーニングは両輪であって、決して矛盾するものではありません。ここが教育論のなかでよく誤解されがちです。アクティブラーニングを推進しているからといって知識を軽視しているわけではないのです。
反戦教育に話を戻すと、何故戦争が起きたのかを様々な角度から知ることが大切なのは言うまでもありません。時代背景、自国の様子、他国の様子、指導者の振舞い方、外交交渉などなど。こういったことをクリティカルにきちんと学ぶことです。もちろん知識を注入するだけでなく、アクティブラーニングで知識を活用してみる。戦争回避という答えをどのように見つけるか、そういったプロジェクトの当事者になって考えるトレーニングは重要だと思います。

グローバル教育ということもこういうことに関係してきます。自国にないことをどのくらい知っているのか。文化、民族、人種、風俗、習慣の違いについてどれだけのことを知っているのか。他国の人を理解するには相手のバックグランドに関してどのくらい知っているのか。こういった知識は非常に大切です。
どれだけ学んでもすべてがわかるわけではありません。自分とは異なることが世の中には確実に存在するし、理解できないことも存在します。そんな存在とどのように共存共栄するのか、こういった感覚も同時に大事な能力ですね。
島国日本ではどうしても同調圧力が強いと言えます。「空気を読め」と言われても、読めない人間はつらい。学校でも、自分とは異なる存在こそが自分を豊かにしてくれるということが行きわたると、開放的な雰囲気で一人ひとりが生き生きとしてくるのです。
最後に感性や美学の重要性に触れておきます。
「グレース・オブ・モナコ」という映画をご覧になった人も多いかと思います。モナコ公妃グレース・ケリーの話です。外交交渉は一般的には国家首脳部の男たちの理詰めの交渉で、駆け引き上ではお互いが決して譲れないところから始まっていきます。

もめ事で難しいのは「ロジカル」には解決できないことが多いということです。国家のトップとなればその地位もあってなかなか妥協をして譲り合いをするということが出来ません。この映画ではまったく別のやり方についてのヒントが語られています。
それは、人は美しいものが好きであるということ。心が動く時は、ロジックで動く時もあれば美しさで動く時もあります。もしかすると重要な局面になればなるほど、感性で動くことの方が多いのが世の常なのではないでしょうか。知識やロジックだけでなく美学も大事だと思う所以です。
言葉も文化もわからないという者同士でも、美しいもので共感することは出来ます。だから、教育にも美学が絶対に必要であると感じるのです。