【かえつ有明2020】~石川副校長のビジョン(12)~

DATE : 2014/12/26

20141206_03.jpg

     今回は1年の締めくくりということで、少し大きなテーマですが、反戦ということについて、本校が重視しているクリティカルシンキングとの関連でお話をしたいと思います。

    ある方が書いていたことで、いまだに心に響いている言葉があります。それは、「幼少のころから英語教育をやっていて、英語を話せないことは批判されるのに、幼少のころから反戦教育をやっているのに戦争がなくならないことは批判されない?」といった趣旨のものです。はっとさせられる言葉でした。教育は、いくらいいことを言っていても、それが実践されなければ意味がないのですよね。
    私が生まれたのは1962年で、小学生くらいのときには「戦争を知らない子供たち」という曲がヒットしました。私自身も戦争は知りませんが、両親は戦争をくぐってきた世代です。この曲が流行したということはそれだけまだ戦争が意識されていた時代だったのでしょう。
    反戦教育はきちんとされてきたのだと思います。広島や長崎や沖縄など、戦争に関する多くの文章を読みましたし、話も聞きました。
    でも現実の世界では、第二次大戦後も戦争や紛争が止むことはありません。それどころか最近では第二次大戦前に雰囲気が似ているという指摘がよく出ています。日本でも隣国との関係において強硬論をしばしば耳にします。
    教育はこういった状況に対して有効な手立てを提供できなければ意味がありません。

2014-12-21 11.52.16_r.jpg
    もちろん、今の反戦教育がダメだと言うつもりはありません。戦争の愚かさや悲惨さは強調されているし、誰もが戦争はやってはいけないことだと考えています。
    しかし、反戦教育はここで止まっていてはいけないと思うのです。つまり、人道的に許されないとか、人間的にやってはいけないというレベルで議論を終わらせるのではなく、何がそのようなモラルを封じ込めてしまったのかと考えてみることが必要です。
    戦争を引き起こした独裁者や好戦的な一部の人たち。歴史の教科書では、そういった戦争の原因が書かれています。憎むべきものはそこであって、そんな人たちを輩出しなければよいのだという考えもあります。
    でも第二次大戦の際、日本が戦争を始めた時には世の中はそれを歓迎するような風潮だったと多くの映像や資料が物語っています。つまり、情報操作の怖さです。
    ですから、学校教育で授ける必要がある能力は、まずクリティカルシンキングなのだろうと思うのです。情報を正しく判断する能力、鵜呑みにしない力。ネットという怪物が誕生した今の時代にこそ問われる能力だと思います。
    クリティカルシンキングの訳語である「批判的思考」という「批判的」という言葉がしばしば誤解され、ネガティブに受け止められることがありますが、ここでの批判的というのは決して最初からNOを突き付けるということではなくて、「本当のところはどうなんだろう?」と考えることなのです。
    みんなが言っていることとか、ネットで評価が高いこととか、あるいは、偉い人が決めたことなどというのは、どんなによさそうに聞こえても、本来は批判的に考える必要があると思います。
    ここで大事なことは、クリティカルに考えるための前提として、自分軸を持っておくことが必要だということです。広い意味での哲学と言い換えてもいいですね。
    自分なりの哲学を得るというのは大変なことだと思います。当然多くのことを学ぶ必要があります。多くの知識を、自分軸を形成する引き出しに放り込むわけです。そのリソースは学校であったり書物であったりマスコミであったり友人であったりと、様々です。知識の総量が少なければ判断材料が不足します。だから学びは重要なのです。
    そして自分軸をより確固たるものにするためには、他人と意見を交換することが有効でしょう。対話もあれば議論することもいいでしょう。あるいはディベートも役に立つ手法の一つですね。そういう意味で、アクティブラーニングは引き出しの中身を活性化すると言えるわけです。外気に触れることにより進化する。そんな効用がここにあるのです。

    さて、このテーマはもう少し続きます。いったんここで切り上げ、この続きはまた年明けにしましょう。

    皆様どうぞよいお年をお迎えください。

20141206_02.jpg
Return to Top ▲Return to Top ▲