前回は、創造性を発揮する上で大切なのは、個人の能力というよりも、失敗を許容できる環境だという話をしました。今回はその環境ということに関連して、コミュニティについて話をしてみたいと思います。
コミュニティという言葉が指す内容は広いのですが、自分が所属する集団という意味で考えると、学校も学びのコミュニティですね。ですから、やはり安心できる環境かどうかは重要です。お互いにフラットな関係が築けないと、創造性も発揮できませんし、自分らしさも確認できません。
本校は、帰国生が多いことで、自然と相手のバックグラウンドに対する配慮が働いているのではないかと思います。単純に点数が上とか下とかということではなく、学習習慣の違いがあるということを前提にしているので、帰国生以外の生徒に対してもそのような見方をすることが自然にできているのですね。
男女別学もそういう配慮の一つです。コミュニティは多様でよいと思いますが、ある年齢においては集団の均一性を保つことも必要です。学年というまとまりを重視するのと同様、男女差を考慮に入れたコミュニティを形成することも必要なのだと思います。
コミュニティということで、もう一つ考えておかなければいけないのは、学校以外のコミュニティとのつながりということです。地域社会などもそういうコミュニティです。このようなコミュニティでは、自分がそこに参加して何か貢献することで、自分を確認したり磨いたりする面があると思うのです。
よく本校の生徒が学校説明会で保護者の前でふだんの学校生活について話をしてくれるのですが、このような機会は、生徒自身にとってよい学びの場になっていると思います。単に大勢の大人の前で話をするという意味だけではなく、自分自身の姿を客観的に振り返るという意味でもそうですね。
自分ひとりで考えても、答えが出せずに迷っているときに、大勢の前で自分を表明する場面に立たされることで、「これでいこう」と決心するということがよくありますよね。自分だけの強い意志で人生の方向性を定めることは難しくて、たいていの場合は、人との関わり合いの中で、決定せざるを得ないという局面に立たされてようやく決定するということも多いのではないでしょうか。
コミュニティにはそういう働きがあって、他者がいることで自分が見える部分がある、というか、自分を変化させるような力があるのですね。
最近、グローカルという言葉が使われています。グローカルとはグローバル(地球規模の)とローカル(地域的な)を掛け合わせた造語で、「地球規模の視野で考え、地域視点で行動する」という考え方です。
学校におけるコミュニティは、グローカルのなかのまさにローカルであるといえるでしょう。学校にある小さいコミュニティも常にグローカルな視点で動けるようになっていけば本当に素晴らしいですね。