【かえつ有明2020】~石川副校長のビジョン(7)~

DATE : 2014/10/20
    今回は、評価ということについてお話したいと思います。

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    評価というのは、生徒を伸ばす方向性の指針となるものですから、教育の中で非常に大切な役割を担っています。ところが、その評価がともすると数値によるラベル貼りのようになってしまっているのが、日本の教育の問題点です。その筆頭が偏差値で、集団の中のどの位置にいるかということを示すに過ぎない数値が、あたかも生徒の学力の指標のように使われてしまうのはおかしな話です。

    しかもその評価のもととなるテストも、知識や理解の程度を測る問題ばかり出題しているわけですから、創造的な能力などは、ほとんど個人の資質に委ねられていて、教育の守備範囲とは考えられていないという状況です。

    先だってアートによる感性教育に触れましたが、アートの創造性というものも、それまでの時代を乗り越えようとするクリティカルな営みの積み重ねであるわけで、学びや思考といった知的な領域と切り離されているわけではないのです。それが、「技能教科」などという名前で単に技巧の一つとして捉えられている。あるいは「印象派」とか「キュービズム」といった用語の暗記になってしまっているのが悲しい現実です。創造性を刺激するはずのアートがこういう「お勉強」になってはつまらないですよね。
学校教育は本来、もっとクリエイティビティに焦点を当てるものであってよいと思うのです。そのような創造的な側面を取り戻すために大切なのが評価システムです。
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    本校ではかねてからブルームのタキソノミーを利用した評価システムを利用したカリキュラム開発をしていますが、そのタキソノミーの用語を借りて言えば、「知識・理解」といった枠の中でトレーニングしてきたのが従来の日本の教育で、せいぜいもう少し先のレベルである「応用・分析」が中間管理職に求められるレベルだと言えるかもしれません。この部分までの能力だけで考えれば日本は本当に世界でトップクラスだと言ってもいいのではないでしょうか。

    その先、つまり「メタ認知とか自己決定」と言われる領域になると、特に受験の中ではほとんど手つかずのまま、放っておかれたのかもしれません。

    ですから、新教科「プロジェクト」では、評価を教師と生徒の対話の機会と捉え、ルーブリックと呼ばれる評価表の開発を行っています。ルーブリックなどと外来語を使うと、何やらすごく難しいものに感じられるかもしれませんが、要するに次のレベルに移行するためにどのような力が必要にあるのかということを書いた判断基準です。これがあることで、生徒自らが自己評価する仕組みができ、教員と生徒のコミュニケーションがより活発になることが期待できるのです。
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    ルーブリックの大本には、数年前から少しずつ議論を進めてきた「かえつ知のコード」という評価表があります。科目にかかわらず、思考のレベルを何段階かに分け、それを共有しようとしてきたのです。知のコードとルーブックがいよいよ結びつく段階に来たのかなと感じています。

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