今回は、グローバル教育ということについてお話しようと思います。
8月23日から31日まで本校でオルセー美術館のリマスターアート展を実施しました。このオルセー美術館には個人的に結構思い入れがあって、実はグローバルということを考える上でも示唆に富んでいると思うのです。
というのは、この美術館は印象派の画家の絵が多く所蔵されていて、その代表格であるモネは、ジャポニズムの影響を強く受けています。当時は画家同士が双方の国を行き来する機会などほとんどなかったのに、遠い異国である日本の浮世絵などが、印象派の画家に影響を及ぼしているということにとても興味をそそられるのです。
つまり、グローバルというと、海外に出かけていって英語でビジネスをするといったステレオタイプな見方があるのですが、人が行き来しなくても、物や文化を通して伝わることがあるということを、印象派の絵を見ると思い起こさせてくれるわけです。
グローバルということが話題になるとき、欧米に比べて日本はまだ遅れているとか、どっちが上だとかいった観点で話をする人がいますが、序列を考えるような話ではないですね。そういう欧米コンプレックスのような感覚は英語を話すという場合にも見られることで、きれいに発音しないといけないといった思いで逆に話せなくなっている人も結構多いのではないでしょうか。しかし、考えてみれば、英語が第一言語の国がそれほど多いわけではありません。世界では色々な英語が話されています。
今の時代は、英語を学ぶ環境は非常に恵まれています。若い人は格安航空券などを使って気軽に海外旅行に行く人も多いですね。相手が外国人であっても全然臆することなく英語で話をしています。今の若者は「内向き」だなどと批判する人もいますが、むしろ海外に出ていく必要を感じないのでしょう。それほど、英語や異文化が身近に感じられる時代になっているわけです。
では、そういう時代に英語を学ぶ意味というのはどこにあるのかというと、そのカギを握るのが「ランゲージアーツ」だと考えています。
高校プロジェクトの新教科である「ランゲージアーツ」のコンセプトは、英語科主任の山田先生が現在とりまとめてくれているのですが、英語を母国語としている人たちが「国語」として学んでいるものを身につけることを目的にしています。「英語の論理構造」や「コミュニケーションストラテジー」といった、国際的な場で対話や議論をしていく際に必要となる技能を身につけようということです。
本校のパンフレットで「I think..,because ….」が言える生徒を標榜しているのは、このフレーズが英語のロジックを端的に表現しているからです。欧米の社会というのは、自分の主張を言っていかないと通用しない。一方で日本人は相手を妙に気遣う。そもそも論理の組み立て方が違うので、理屈が通じにくい部分があるわけです。
話をする場合だけではなく、英語の長文読解などをする場合もそういう論理構造に気付けるかどうかが文章理解に大きく関係してくるのではないかと思います。英語を通してコミュニケーションをするというのはそういうことで、逐語的に日本語を変換していくのではなく、英語的な発想こそ、身につける必要があります。
自分の主張をするという場合に大事になるのは、「感性」の部分です。しかし、それを出張してばかりでは、対立したまま終わってしまいます。その違いを「ロジカル」に説明していくことで、自分とは異なる存在である他者と自分とを活かしていくことが可能になる。それが「コラボ」にもつながっていくのだと思います。
前回お話した三つの軸は、グローバル教育を考える上でも大きく関係しているのです。