主要教科という言い方があります。私はこの名称が好きではありません。結局受験という観点から「主要」かどうかを判定している言葉だからです。
一方で、芸術は教養として大事だといったことを耳にすることもありますが、このような表現にも違和感を覚えます。こういう発想の裏には、教養を日常生活から分けて、特別なカテゴリーに閉じ込めてしまうような、そんな意識が感じられるからです。
文学作品を国語という教科の中で扱うように、絵画などをもっと自然に学校の学びに取り入れていければよいなと思います。文字や数式以外の表現形式の一つとしてアートを教育の中にもっと位置づけていくべきですね。
一枚の絵画も見る人によってそれぞれ違った印象を持つことでしょう。そういう印象を膨らませて小説やドラマを創ってみたら面白いのではないかなどと考えたりします。よく日本の教育では創造力の育成が欠如しているなどと言われますが、多様な答えがあり得るような問いを投げかけられる機会が少ないのかもしれません。
海外の学校を視察して感じることは、アートが身近にあるということですね。演劇やダンスも身体を使った芸術といった位置を占めていて、国語や体育といった教科内の教育を越えた、感性を育む学びになっているような感じがします。
ヨーロッパでは、美術館に行って絵画を見るという授業もよく行われているそうです。そこで模写をしたり、先生が解説をしたりするなど、日々の学びの中にアートが自然に溶け込んでいるらしいのです。
今回本校でオルセー美術館のリマスターアート展を開催することにしたのも、そういった意識がベースにありました。リマスターアートの大きな利点は模写が可能なことです。
アートに親しむための第一歩は対象物を写すことだと思います。「写す」「まねる」ことで、その先が見えてくるというのは、芸術だけではなく、スポーツでもよく言われることですね。武道の分野ではよく「守」「破」「離」の3段階を経ることが大事だとされます。最初はとにかく「型」を守ることを大事にする。
創造って、「無」から「有」が生まれるものでは決してないのではないでしょうか。「有」の新しい組み合わせが新しいものを生みだすと思うのです。オルセーに出展されている画家たちもお互いの絵画をよく模写したり研究したりしていたようです。
子どもたちにはとにかく何事もレベルの高いものをみせること、経験させることが大事だと思います。絵画、仏像、音楽…、作者の魂の入ったものは人の心を動かすものです。 未来を創る子どもたちにそんな経験をさせてあげることが大人の役割なのかな、と感じています。
今回のリマスターアートはそのための第一歩なのです。