先日は2学期の始業式があったのですが、少し変わったことをしました。通常、始業式のような式典では、校長は重々しく威厳のある内容を語り、生徒は静かにその話に耳を傾けるというのがよくあるパターンですね。私の場合、威厳は特に求めませんが、話すネタについては、結構あれこれ考えます。中1から高3までがみな関心を持てる話題を探すというのは、なかなか難しいものです。
2学期の始業式としては、夏休みの後だから、少し乱れてしまった生活のリズムを立て直そうといった話が無難と言えば無難なわけですが、式が始まる前に、本当にそれでいいのかなという自問自答があったのですね。並行してアクティブラーニングのことが気になっていたこともあって、「そうだ、一方通行の話をするよりも、2学期のことは生徒自らに考えてもらおう」と閃いたのが、始業式の始まる15分前でした。要するに、始業式の話をアクティブラーニングにしてしまおうというわけです。
持ち時間は5分に限られているから、問いを2つに絞りました。第1の問いは、2学期はどんなことがあるのか、それを自分なりに認識してほしいということ、そしてそれを回りの人と共有してほしいと伝えました。そして、2つ目の問いは、1つ目の問いで認識したことを自分はどのようにやっていくのかを考えてほしいというものです。その上で、やはり周囲の人と共有してもらいました。
いずれの問いでも、周囲の人とシェアする際に静かに語り合う声が会場にさあっと広がっていき、時間が来てこちらが話を始めると、また静かに聴く態勢ができていました。その様子を見て、やはりうちの生徒は、こういう学びになじんでいるのだなあと、ちょっとした感動があったんです。
新学期ということで、生徒たちも彼らなりにどうしようかという思いがあったりします。日々の生活をどういう風にしていきたいかということについて考えてはいるのですね。ただそれをじっくり考える時間があまりなかったり、考えをまとめる機会がなかったりして、そのうちいつの間にか日常に戻ってしまう。そこに親や教師から一方的に2学期はこういうことがあるから、しっかりやりなさいなどと小言を言われると、完全にモチベーションが下がってしまったりするのですね。
昨今アクティブラーニングについて色々と言われていて、中には教室がうるさくなるばかりで本当の力は付かないなどといった批判をする人もいますが、私がこの始業式で確信したことは、やはり5分という短い時間であっても、あるいは1000人という大人数であってもアクティブラーニングはできるし、その効果もあるということです。その際に大事なことは、知識をどう扱うかということなのです。
アクティブラーニングで忘れられがちなのが、知識なのです。よくアクティブラーニングでは知識は不要だと言わんばかりの話をする人がいますが、それは少し違うと思います。知識は重要です。知識が多くあればあるほど、その分、学びの可能性が広がるのですから。ただ、従来と違うのは、その知識の多寡だけではなく、重要度や意味が人によって変わってくるという点なのですね。今回の話で言えば、2学期に何があるのかということは人によってその内容は異なってきます。文化祭があるという人もいれば、AO入試があるという人もいる。当然人によって、重みは異なってくるわけです。
どの知識が重要であるかは人によって異なるにしても、その知識をどのように自分の目標につなげるのかということを考える点は共通しています。それを考えるツールになるのが、知のコードであり、ルーブリックであり、あるいはTOKなのです。
生徒たちが私のアクティブ始業式にうまく適応してくれたのも、サイエンスなどの学びで慣れているのでしょう。生徒が自然に反応してくれたことが私としてはとても嬉しく思いました。
5分間、1000人でもアクティブラーニングはできるということです。自分で言うのも変なのですが、先生がリスクテイカーになれるかどうかが鍵なのだと思います。