【かえつ有明2020】~石川校長のビジョン(16)~オルセー展を終えて

DATE : 2015/9/8

 ご存知のように、夏休みの終わりに本校でオルセースクールミュージアムが行われました。印象派絵画に囲まれていた生活を10日間していたので、パワースポットで過ごしたような余韻があって、しばらくテンションの高い毎日が続いていました。 

キュレーターという仕事 

 このスクールミュージアムを開催するにあたって、外部からキュレーターの方が来て、企画段階から関わってくださいました。本校からは私と美術の井上先生も加わり、ご一緒に仕事をしましたが、キュレーターという仕事の範囲の広さに改めて驚嘆しました。

 キュレーターは、いわば展示会全体の企画責任者ですから、海外から持ってくるものを手配したり、スポンサーとの交渉をしたり、コンテンツをどう配置して、どういうコンセプトにするかなど、展示全体に関して取り仕切りを行うわけです。

  海外では非常に重要視されているキュレーターですが、日本ではそれほど重視されていません。日本では目玉になるものをボンと持ってきて、スポンサーをつけて、あとは楽しめばよいといった感じですね。それはそれで否定はしないのですが、やはり知的な愉しみを埋め込むというか、物語を作るのもキュレーターの仕事です。

 2階に展示した絵の配置については、井上先生が苦労されて、印象派の革新性がやがて抽象絵画への扉を開くような演出をしてくれていました。ピカソの画集が最後に置かれていたことに気づいた方も多いのではないかと思います。

 限られた予算、限られたコンテンツの中で、どのようにストーリーをつなげ、展示会の世界を創り上げるかというはキュレーターの腕の見せ所で、そこは素材を活かす料理人と同じです。AIがどんなに発達してもこれはできないでしょう。知識・理解・応用・論理といった、思考レベルでいうところの第4レベルまではAIでもできてしまうでしょうが、感動を与えるところまではいかないですね。キュレーターの仕事を見ていてそこが印象的でした。

キュレーターDSCN9768

ゲストプロフィール 
国立新美術館 企画室・研究補佐員
長谷川 珠緒 様(左から2人目)

印象派の時代と現代

 印象派の時代というのは、カメラが登場するなど、様々な技術革新が起こってくる時代です。電灯がともるようになったことで、自然の光を意識することになりましたし、写真技術によって、絵というものの本質を考えることを突きつけられたわけです。例えばセザンヌはりんごを描くことに徹底的にこだわりながら、遠近法を崩していく。遠くの物の方が大きく描かれたり、横から見えているはずのビンが上から眺めたように描かれたり、パーツのそれぞれの部分が自己主張して、それで全体が出来上がっているなんていう絵をたくさん描いています。

 そんな絵の構成を、当時の近代化が進みつつある社会という文脈で考えてみると、民主主義や個人主義の表れであるかのように解釈することもできます。歴史だけでなく、セザンヌの私生活のエピソードなども踏まえて絵を眺めていくと、そんな風にどんどん高次の思考が展開されていきます。だからこそ、知識は大切になるのです。

 今の時代もコンピューターやAIの登場という技術革新が起こっているという意味で、印象派の時代と同じですね。印象派の人たちが突きつけられたことが、今の私たちにも問われている。ことは絵に限らないわけです。歴史に学べとよく言われますが、印象派絵画を毎日眺めていて、やはり変革に対する勇気とか、リスクテイクが大切だということをつくづく感じた次第です。

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エッフェル塔Monet-montorgueil通り

        エッフェル塔建設当時の街並み          現在の街並み

 

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