【かえつ有明2020】~石川校長のビジョン(18)~「哲学授業」(2) -あなたはどう思いますか-

DATE : 2015/9/14

 哲学授業をするとき、「あなたはどう思いますか」という問いにこだわっています。何でもないような問いですけれど、この問いになかなか答えることができない子どもが結構います。一方で、海外で学んできた帰国生はこういった問いにどんどん答えるのですね。ということは、どうも日本の教育のあり方に問題があるのではないかと感じるわけです。

 つまり、日本の子どもたちは先生が期待している答えを探すという習慣がついてしまっているのではないか、あるいはクラスメイトにどう思われるかということが気になっているのではないか、ということです。さらに、受験という制度がこの傾向を助長する。「そういうことを考えても無駄だよ、試験に出ないよ」というわけです。

キングスクロス駅の写真_r

 順天堂大学医学部の、写真を見て感じたことを答えるという出題を取り上げたのは、入試にもこの手の問題が出るというのを知ってもらいたいということがあります。何も入試に出るからやるということではありませんが、感性を磨くことは決して無駄なことではないということを生徒たちに伝えたいのです。 

 

 

 先日の高3生の哲学授業では、幸いなことに、どの生徒も感じたことを言ってくれました。この写真を見てどう思うかと聞いてみると、「なんか不気味な感じがする」とか「暗い感じがあるけど、同時に明るい感じもある」などといったそれぞれの反応がある。椅子を丸く並べて、机を取り払うだけで、ずいぶん感想が言いやすくなるのだと思います。 

 生徒が話してくれた感想に対しては「なるほどね。面白いね。」と受け止めて、決して否定したり、自分が講釈を垂れたりしないということが大切です。人に感想を求めておいて、その感想を否定することは一般社会ではあり得ないですね。生徒との関係でもそれは同じです。 

 先生が上の立場から、生徒の言ったことを批評するのではなく、問いを出し合い、考えを深めていく。自分が思っていたことと反対のことを生徒に言われたからといって、その考えに否定的な見解をかぶせてしまうと、「まあいいや。先生の言う通りにしておけばいいかな」と生徒はすぐに自分を閉ざすようになってしまう。だから、そこはぐっと我慢して、決して否定することをしてもいけないし、逆に、自分もそう思うといったような肯定もまたよくない。先生が自分の立場をニュートラルにしておくのは案外難しいものです。 

 こうやって、生徒が自分の感じたことをまずは言えるようにしておく、これがあって次に理屈がついてくる。なぜそう感じたのかということですね。そうすると今度は、最初はこう感じたけれど、よく考えてみたらやはり違う考えに変わったなどということがあります。それはそれでいいのです。そういう積み重ねが感性を磨く方法なのだと思います。 

 感じたことを表現する、そして人と対話しながら、よりしっくりくる考えへと修正していく。それは今後やってくるAIの時代に向けてとても大切な「感性」の教育だと考えます。「論理」の部分はAIが相当程度までできるようになってくるでしょうが、感性、つまり美しいとか、善いとか、本当らしい、とかといった判断は、とても人間らしい特性であって、AIには真似できない能力なのです。 

 グローバル化が進む世界においても、この感性をしっかり伝える力が求められます。自分と違って、こいつはこう感じるのだなということが面白いわけです。同じであることよりも違うことに価値を置く世の中になっていく。そういう未来を見据えれば感性の大切さがもっと強調されるべきだと思うわけです。

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