【かえつ有明2020】~石川校長のビジョン(19)~文化フェスタの準備を見ていて感じたこと~

DATE : 2015/9/17

今本校では、週末に行われる文化フェスタの準備が行われています。音楽をやる有志もいれば、お化け屋敷を企画するクラスもある。また、学習の成果を発表するグループもあれば、部活での出し物を準備している生徒たちもいる。本当に様々なことにチャレンジする生徒たちが頼もしく感じられます。   

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  ある人から聞いた話では、こういう活動は日本特有で、海外の学校ではこのようなイベントはあまり見られないということです。確かにこれほど広範な領域についての活動が、生徒の自主性のもとに行われる学校全体のプログラムというのは、珍しいでしょう。 

 私自身にも文化祭にまつわる思い出があります。高校生のときに、有志で演劇をした際に、教員の役を演じたことが、教師という仕事を選んだきっかけになっているのです。そのときはたまたまその役を仰せつかったのですが、それが自分でもびっくりするぐらいしっくり来たことで、教師という職業に興味を持つようになりました。 

 そこまでどんぴしゃりという経験とはならないまでも、文化祭は誰にとってもふだんとは違う自分を発見するチャンスだと思います。皆が協力して、決められた期限までに何かを作り上げていくというプロセスの中で、調整力とか、共に創る「共創力」というのが問われている。みんなが参加しているイベントだからこそ意外な力を発揮することがあるのですね。 

 さらに言えば、文化祭ではクラスや部活の中だけではなく、一般の人にも自分を「公開」していくことになるわけですから、それだけ大きく成長する機会になると言えます。学校というコミュニティの中で、中学生や高校生がこういう活動をするということは改めて考えると凄いことです。社会の縮図という言い方がしっくり来るほどさまざまな役割を生徒たちがこなしているのが、文化祭なのです。 

 本校で実施している思考力テストか何かで「あなたは文化祭においてどんなことをやってみたいですか」などという問いを出してみたいという誘惑に駆られますね。まずは感性を働かせて自分のしたいことを思い浮かべて、それからメンバーの役割や予算を考えていくといった思考のプロセスを辿るのでしょう。 

そう考えてみますと、高校新クラスで行っている「プロジェクト」という授業もプロセスは同じです。発表日が決まっていて、そこに向けてチームを組み、答えがない問いを自ら立ち上げながら、リサーチをしたり議論をしたりしながらゴールに向かっていくわけです。 

 渋谷のスクランブル交差点で信号が変わったとたん、四方から一斉に大勢の人が整然と渡る様子がYouTubeなどで評判になっているようですが、日本人が当たり前に行っていることでも、外国の人から見ると凄いことというのがあるようです。その伝でいけば、文化祭というのも日本が誇るべきイベントなのかもしれないと感じる次第です。

渋谷スクランブル交差点

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