今回は、ダッツン先生のスタディトリップ、「TOK(知の理論)から歴史にアプローチする授業」についてお話します。前々回のビジョンでは、授業で使われたワークシートに、次のような公式が書かれていたことに触れました。今回改めて眺めてみて、つくづく「凄い公式だな」と感じます。
“Histories=Sources + Historians”
歴史が複数形になっています。歴史は史料と歴史家の数だけ存在するということなのですね。ここでの「歴史」を「事実(ファクト)」と置き換えてみるとまた面白いことに気づきます。
私たちは、なんとなく事実が一つだけあって、それは客観的に存在していると思っているのですが、これも、どういう立場からその事実を見るかということによって、複数の事実というものが存在し得ます。
テレビであれ、新聞であれ、雑誌の表紙を飾る一枚の写真であっても、メディア情報は何にせよ、編集されていますが、そこには編集する者の意図がありますね。いくら中立であるように心がけていても、その情報をピックアップした段階で、主観のフィルターを通しているわけで、完全に中立な情報というのはあり得ないし、また、中立でないから悪いということでもありません。
情報を選択したり編集したりする際には、それに価値があるかどうか、つまりこれまでにない新しい情報かどうかという観点が大きく関わってきます。結果的に、情報の受け取り側のエモーショナルな部分に訴える内容になっていくことがあるわけです。ですから逆に、情報の受け取り側は、自分の中にエモーションが沸き起こっているということをクリティカルに考えることが大切です。メタ認知といってもいいのかもしれません。感情をなくすのではなく、感情を意識しておくことが重要になるのです。
ダッツン先生がスタディツアーの場所として、遊就館を選んだということには、そういう意図があったのだと思います。つまり、遊就館で展示されているものやそれについての説明が、私たちにどのような感情を引き起こすか、そこをクリティカルに見ることで、歴史ということについて考えようとしているわけです。
様々な感情が沸き起こる、また、非常に強い感情でもって語られる場所であるからこそ、そういった感情から生み出される情報についてのリテラシーを考える必要があるのだと思います。人間は感情を持つ生物ですから、様々な情報や言説は、多少なりとも感情的な部分が含まれます。そしてそういう情報に共感するにせよ反発するにせよ、それもまた感情の働きであるわけです。
教科書に出てくる事項を単に価値中立の「事実」として覚えるのではなく、どのような史料からそのような「事実」を主張している立場があるのか、といったことに目を向けることは、クリティカルシンキングが刺激されます。改めてダッツン先生のTOKのアプローチに凄さを感じた次第です。
TOKのこういう学びを学校全体で共有するために、現在様々な取り組みを進めています。かえつ有明「知のコード」を開発して、以前から中学部で行っているサイエンス科の学びを深化させていることも一つですし、高校部で取り組みを始めたランゲージアーツという教科での、クリティカルシンキングスキルを重視した学びもその一環です。
クリティカルに物事を見ることによって、子どもたち一人ひとりが「自分軸」を確立し、自分なりの哲学をしていくことが、知の楽しみです。それこそが本校が向かっていく学びのスタイルなのです。
【かえつ有明2020】~石川校長のビジョン(28)~「TOK:歴史を哲学する」スタディートリップに同行して (1)はこちら