聞き手:石川校長
福冨先生(クラス担任)
1) かえつ有明に入学するまで
校長:ハッシーとは不思議な縁ですよね。もう30年近くも前にハッシーのお父様に私が地理を教えていたという(笑)
橋本:はい。
校長;シアトルにいたんだよね。どのくらい暮らしていたの?
橋本:小学2年生の終わりからかえつに入学する一週間前までの4年間です。
校長:ちょうどイチローがいた頃だよね。現地校にいたのかな。
橋本:月曜から金曜までは現地校で学んで、土曜日は日本語補習校で学ぶという生活でした。イチローのいとこか誰かが同じ補習校で学んでいたようです。
校長:小2というと、気づいたらアメリカにいましたっていう感じ?
橋本:そうですね。最初に行ったときは英語を何も知らず、アルファベットも分からない状態でした。「トイレに行ってもいいですか」という発音だけ覚えて…(笑)
校長;なるほど。その状況はよく分かります。私もかつて似たような小学生時代を送ったから(笑)ハッシーの他に日本人はいたの?
橋本:小学生の時は途中までもう一人日本人がいたのですが、その人が帰ってからはほぼ一人だけですね。普通のクラスにいてもとにかくチンプンカンプンで、最初はESL(英語が母語ではない生徒向けの英語クラス)に入りました。最初の頃、教室で自己紹介をやってくれと言われていたらしいのですけど、分からないのでぽかんとしていたら、女性の先生に教室の前に引っ張っていかれて、何か話をしなくてはならないという状況になって、結構不安になった覚えがあります。
ただ、新しく入ってくる留学生のような人が結構多かったこともあって、周りの人たちは歓迎ムードで、いつも丁寧に接してくれました。
校長:シアトルは結構アジアの人たちが多いエリアだからね。確かにフレンドリーかもしれないね。それで、何年くらいでコミュニケーションが取れるようになったのかな。1年間くらい?
橋本:確かESLを抜けるまで2年くらいかかりました。あまり積極的に話す方ではなかったので、割と時間がかかったと思います。
校長:そうか。橋本君にも結構苦労した時代があったわけだ(笑)
それで、コミュニケーションが取れるようになった後は、アメリカで弾けていったのかな。
橋本:あとは楽しかったです。
校長:そうか、どんなところが楽しかったの?
橋本:自然が多いところです。あと、広いじゃないですか、どこもスペースをいっぱいとっていて…。そういう広いところにいるのが基本的に好きなんです。家の近くの公園も、日本の公園のように整備されているようなものでは全然なくて、森がそのまま放ってあるという感じで…。そういう中にいるのが楽しかったです。
校長:なるほど。西海岸でもロスのあたりはもともと砂漠だけど、ロスからシアトルに行くと緑が多いなという感じがするよね。あの辺は、水力発電所が盛んだとか、だから電気の価格が安いとか、それでアルミ製造が盛んで、航空機産業も発達するとか、地理でもそういうことをお父様に教えていたなあ(笑)
橋本:地理は得意だったようですよ。センターは100点取るはずだったけど98点だったとか、よくそういう話を家で聞いています(笑)
校長:もう30年前の話です(笑)
それで、入学ぎりぎりまでアメリカにいて、バタバタと帰ってきたわけだね。
橋本:自分だけ先に一人で帰ってきたんです。本当だと夏ごろに帰国時期があったのですが、中学校で出遅れるのはよくないよねということで、日吉にあるおばあちゃんの家に居候しながら通うことになりました。
校長:受験は、かえつ以外にもいくつか受けたのだっけ。
橋本:かえつの他にはもう一校受けたのですが、その学校には落ちてしまいました(笑)試験とかはあまり難しいと思わなかったのですが、面接では日本語がうまく回らなかった…。敬語もうまく話せなかったので、それで…落ちました(笑)
校長:それはかえつにとってはラッキーだった(笑)4期生から帰国生が少しずつ多くなっていくんだよね。
2)学校生活での思い出
校長:入学してみてかえつの印象はどうでしたか。アメリカの学校との違いを感じたことなどはあったかな。
橋本:そうですね。向こうだと先生が教室を「自分の部屋」感覚で使っているじゃないですか。私物とかも置いてあったりして…。日本ではどの教室も同じような空間で、最初は違和感がありました。アメリカに行く前、日本の小学校にいた頃をおぼろげに思い出したりしましたね。
それと、授業中の様子も、アメリカの学校に比べるとみんなおとなしくて、先生から質問されない限りあまり発言しないという印象がありました。ただ、弟(かえつ有明の5期生に在籍)の話を聞くと、彼のクラスはずいぶん活発なようなので、自分の学年だけの特徴だったのかもしれませんけど…。
帰国生クラスも一時期そのような雰囲気になりかけたので、英語の先生に相談して、雰囲気を活性化するためにどうしたらよいかということを話し合ったりしました。日本では生徒が先生に自分をアピールするということがあまりないじゃないですか。そういうところには最初とまどいを感じました。
校長:ちょうどTOK型授業が導入された頃か。双方向の授業というのが少しずつ意識され始めた頃だから、まだ発言が出る感じではなかったのかもしれないね。中1からずっとそんな感じが続いていったの?
橋本:雰囲気はだんだんほぐれていきました。どの学年からかははっきり覚えているわけではないのですけど。自分も先生たちと話す機会を授業以外の時間でも増やしていくように努めました。生徒会をやってみたり、そこでもなるべく先生に話しかけるようにしました。それは自分にとって非常にプラスになったと思います。
校長:確かに、ハッシーと言えば、先生とでも生徒とでも、それが先輩であろうが、下級生であろうが、誰とでも話すというので有名だもんね(笑)。いろんなところに出没していたね。
橋本;その方が楽しいですから。同年代と話すことでは得られないことがあります。交流の幅が広がるとそれだけで自分の世界が広がるような気がします。
校長:そういえば、シンガポールのラッフルズ高校の生徒が来た時も率先して参加していたよね。お台場だったかな、あのイベントは?
橋本:はい。未来科学館とお台場のダイバーシティに行きました。
校長:あのときは夏休み中で、しかも自由参加だったから、それほど生徒は集まらないかなと話していたんだよ。まして高2生はあの時期、大学受験準備の講習会もあったりして、ふつうはそれどころじゃないと考えると思うんだけど、ハッシーはどうして参加しようと思ったの?
橋本:日本にいると、他の国の人たちと接する機会があまりないじゃないですか。だからそのイベントの話を聞いたときに「あ、これは絶対いかないとダメだ」と感じました。受験だから、とかはあまり考えていなくて…。勉強だけだとどうしても得られないことってありますよね。まして、他の国の人と話をすれば、視野を広げる上でも役に立つし、アメリカにいた頃は英語を介してそういうコミュニケーションを頻繁にとっていたわけですから、この交流の機会を逃すことはないなと思ったんです。
校長:なるほど。
橋本:自分は、一直線に進んでしまうというか、一つのことをやり始めるとどうしてもそこに集中してしまい、気合で押していこうとする癖が時々あって、それよりは、色々な角度から物事を見たり、広範囲で見るような力を身に付けたいという思いが強いんです。選択科目を世界史にしたのも実はそういう考えに基づいていたんですが、そんな中でシンガポールからせっかく来てくださったのに会わないというのは、その考えに反するのではないかと思って…。
校長:一種のリベラルアーツだね。そうやって教養の引き出しができてくるわけだ。
橋本:交流の機会を逃すのがもったいないという思いがあるんですね。
校長:そのスピリットがいいね。そういうスピリットはどこから生まれてきたのかね。
橋本:日本に帰国してから他国の人との交流が少なくなり、体験の幅がせまくなってしまっていると感じることがあって、そこを広げたいなとはずっと思っていました。向こうだと日本人が少ないので、コミュニティの絆が強くなるじゃないですか。ポットラックをやったりだとか、交流の機会がたくさんありました。
それで日本に帰ってからそういう機会が少なくなってしまうことには抵抗感があって、なるべく交流を広げたいなと思っているうちに、いつの間にかこういう考え方をするようになったのかもしれません。
校長:ほかに学校生活で思い出に残っていることは何かある?
橋本:中学時代に一番のめり込んだのは「バスケットボール」でしたね。でも怪我をしてしまったことで部活には参加できなくなってしまって、そこからいろいろ手を広げました。ある意味いいきっかけになったのかもしれません。コンピュータのプログラミングとか、音楽も作曲法を学んだりとか…。
校長:そうか、「災い転じて福となす」だね。
橋本:物事は見方によってどうとでも変わるんだなというのがすごくあって、一般的によくないと思われていることでも自分ではこういう風に活かせるなとか、違う視点を持つ契機になると思います。
小学生の頃に器械体操で骨を折ってしまったことがあって、体操から離れてしまったんですね。その時も、他のことをやろうかなと、気持ちを切り替えたことがありました。
校長:小学生の頃から物事を前向きに考えていたというのは凄いね。
橋本:小さい頃なので、それほど深く考えていたわけではないのですが…。
3)かえつでの学びについて
校長:帰国生教育は、かえつが重視している柱の一つで、この部分はぜひハッシーに聞いてみたいところなんだけど、まず英語についてはどうでしたか。受験までオナーズクラスにいたんだっけ。
橋本:はい。オナーズで英語ネイティブの先生の授業を受けていました。英語は本当にためになりました。特に向こうの小説などの文学作品を深く学べた点がよかったです。例えば、グレートギャッツビーという小説があるのですけど、あの本はシンボルがよく使われていて、そこを深く解釈したりするんです。作品の中の2、3箇所の表現に着目して、1500ワードのエッセイを書いたりしました。
校長:映画になった「華麗なるギャッツビー」か。1500ワードっていうと相当の長さだよね。
福冨:日本語の文字数で言えば3000字に相当するくらいですね。
橋本:はい。しかもその課題が期末試験前に出されたりしたので、大変は大変だったのですが(笑)…楽しかったです。
校長:さっきシンボルということを話していたけど、ハッシーはギャッツビーの中のどういうシンボルに着目してみたのかな。
橋本:ギャッツビーの家から見えるグリーンのライトです。この小説では他の箇所でもグリーンのイメージがよく使われています。この色って自然の中にありふれているだけにあまり画家が使いたがらない色だとか、英語では妬みという意味合いがあるなど、結構面白い部分があるんです。作品との関わりで調べたりするうちに、そういうことについて先生と議論ができたのは楽しかったです。
校長:なるほど。そういう分析をしていくわけだね。それはさぞかし力がつくだろう。英語力だけに限らないよね。それこそ国語力にもなる。そこまでじっくり1冊の本を分析してエッセイを書くという機会は、なかなかないからね。
橋本:はい。医学部の小論文でも本当に役に立ちました(笑)。
校長:英語を話すという点についてはどうでしたか。
橋本:話す面でも、先生と英語で議論ができたというのは、有意義でした。自分たちの代は下の学年に比べると比較的控え目な人が多かったのか、それほど日常的な会話をポンポン交わすという感じではなかったのですが、先生が色々と考えていらっしゃる方たちで、文学作品などについて議論ができたことは楽しかったです。先生と深く議論するという機会はふつうそれほど多くないと思います。それが頻繁にできたというのはよかったです。
それから、哲学(TOK)の授業でも、脳が赤ちゃんの時からどのように発達するかということについて考えたりしたのが面白かったです。研究事例を元に、先生と生徒とが議論して、その後ひとりで考えてから、さらにそのあと全員で議論をしたりして、自分達なりのオリジナルな考えを導いたりする経験はものすごくためになりました。
校長:それを英語で議論するわけだから、ストラクチャーというか、思考を表現する上での型みたいなものが、日本語でやるのとはまた違ってくるわけだよね。
橋本:日本語で物を考えるときと英語で考えるときとではストラクチャーが変わっていて、なんか言語によってこれだけ考え方が違ってくるっていうのは、自分の脳みそはどうなっているのかなって思うことがありましたね。
校長:英語はどんどん論理が先に進んでいくよね。だから関係代名詞みたいな修飾が後ろから来るというか・・・。それに対して、日本語は隙間を作って、お互いがそれぞれにいられる空間を作りながら、空気を合わせていくようなところがあるね。
橋本:英語の方が考えを進めやすいですね。考える推進力があるような気がします。自分も何か論理的に考える必要があるときには、英語を使って考えることが多いです。その方が考えがまとまるというか、ズバズバっと言える気持ちよさがあります。
一方で、自分は日本の文学とかも好きで、川端康成の「雪国」とか村上春樹さんの作品についてもよく先生方と議論をしました。あのような世界を英語に翻訳する人がいるというのも驚きですけど、イギリス人の先生と日本の文学作品について英語で議論をするというのも楽しかったです。
校長:なるほど。授業で積極的に発言するというのは帰国生の特性だね。そういう特性を学校全体の授業の中に活かせるのかなという思いもあって、中学でサイエンス科をやっているのだけど、それについては何か印象に残っていることなどあるかな。
橋本:サイエンスについては、リサーチをしてレポートを書いたり、プレゼンテーションをしたのを覚えています。特に印象に残っていることと言えば、ふだんあまり意見を言わない人でも、サイエンスだと発表するので、それを聞いているのが結構楽しかったです。
人の発表を聞いていると、発表の仕方に日本人特有の癖が表れてきますよね。単に緊張しているからということではなく…。他の人が書いたレポートを読んでいるときも日本語の文章ならではの特徴が出ていて興味深かったです。
校長:なるほど。題材よりも言語に興味がいくわけだ。英語と日本語の双方がうまくいい影響を及ぼし合ったということかな。高校新クラスの「ランゲージアーツ」でやろうとしていることを先取りしていたとわけだね。
4)大学受験・将来の進路について
福冨:東大を意識し出したのはいつ頃だったのかな?
橋本:高2の最初の時点では東工大を考えていたのですが、何かの折に、たまたま帰りがけに一緒になった先生から東大にチャレンジしてみたらと言われたのをきっかけに、その選択肢を考えに入れるようになりました。それで実際に東大模試を受けてみたら、なんとか可能性もありそうだったので、「じゃあやってみようか」と自分に気合いを入れました。
福冨:なぜ東大だったの?つまりどんなところが魅力だったのかな?
橋本:理系だけの世界ではなく、文系の人とも接することができる環境、それぞれのキャンパスが近くて行き来できるところがいいなと…。自分は文系科目が好きだし、文章を書いたりすることにも興味があるので、文系との接点は持っていたいと思っているのですが、大学で専門的に勉強するのであれば、理系科目をしっかりやりたいということで、理系を選択しました。でも、そうかといって理系だけに突っ込んでいくのはどうかなという思いがあって、不思議な人や特徴的な人に出会えそうなのは東大かなということで決めました。建物も重厚で、格好いいなと(笑)
福冨:そうだね。建物は大事だよ。安田講堂とか格好いいものね(笑)将来はどんな方向に進もうと思っているのかな?
橋本:大学選択をするときに、自分のやりたいこともじっくり考えました。そうすると、宇宙に行きたいという思いと、人間の脳に匹敵するくらい凄いコンピューターを作りあげたいという思いが自分の中にあることを自覚したんです。そこを切り開けば、将来その突破口から多くの人たちがさらに先を目指せるようなもの、ほかの人たちの夢につながるような分野を開拓したいという思いが強いですね。脳について研究するにしても、医学の方面から脳科学にアプローチするのと、工学系から人工知能にアプローチするのと、どちらが自分にあっているかということは結構悩みました。最初は医学部で人間の脳を徹底的に学んだ上で、人工知能の方に進もうかとも考えたのですが、カリキュラムなどを見てみると、医学部だと脳科学の専門に行く前に、人を治療するという観点から外科的なことを学ぶ期間が結構あることを知って、それなら少しでも早く脳の仕組みに触れられる工学部を目指そうと、そちらに決めました。東大であれば進学振り分けの制度もありますから、それまでに様々な方面のことを学んだうえで、最終的に進路決定できるなという点もよいと感じているところです。
福冨:そうだね。東大なら4年間の中で選択肢がまだあるし悩むことができるからね。CaltechとかMITとか、海外の大学に行くなんていうこともあり得るよな。交換留学や大学院のときとか…。
橋本:MITは先進的な研究をいろいろやっていますし、MITラボの雰囲気とかはいいなと思います。所長が自由でDJをやっていたなどという経歴もユニークですよね。あのような自由さは日本の大学ではなかなか感じられないところかもしれないです。
福冨;日本だとどうしても、これは正しいとか間違っているとか、早い段階で判断されたり、あるいは、個性的な研究はふざけているとか言われてしまう傾向にあるよね。ハッシーには、ぜひ工学系の世界と医学の世界の両面から人間を理解するというチャレンジをしてほしいな。日本の医者は、治すという技術の面では優秀だけど、人のメンタル部分を意識した治療は必ずしも進んでいるとは言い難いし、コンピューターの世界でも、人のメンタル部分をひっくるめた開発というのはまだまだだね。
橋本:日本の医療の現状とかを調べていて気付いたのは、医者という職業が特別で神聖なものと考えられる傾向があるなあということですね。専門職の一つとして、専門性がもっと開かれていてもいいのではないかと思います。むこうだと医者の番付みたいなものがあるじゃないですか。そのような形で評価されてしまうと思えば、技術も上がっていくでしょうが、日本ではひたすら尊敬するばかりで、専門性がオープンになっていないので、せっかくの高い技術もそれ以上に進んでいかず、勿体ないという気がします。
福冨:アメリカだと、人としてはフィフティ-フィフティの関係が基本で、「医者として自分が提供できる専門性はこれとこれ、命の責任はあくまでも患者であるあなたの側にありますよ」といった関係がある。そこが自分もアメリカにいた時に感じたことで、好きなところでもあるんだけど、日本だとどうしても「お医者様」という言葉があるくらい、患者も「私はよくわからないから、先生にすべてお任せしますので、よろしくお願いします」と命を預けてしまう傾向があるね。
5)文系への関心
福冨:ところで、ハッシーは、「グレートギャッツビー」に関して文芸批評のようなエッセイを書くなど(インタビュー記事の第3回を参照)、文系的な一面も持っていると思うのだけど、そのような関心とか視点というのは、どのように育まれたのかな。
橋本:自分はあまり人をランク付けで評価するというよりは、その人を理解するには個性を見る必要があるなと思っていて…。料理と一緒というか(笑)、グルメレポートでも、ただ美味しいではなく、それぞれの味を伝えようとするように、人を良い悪いでひとまとめて評価するのではなく、それぞれの味や個性を見つけるように接していかないといけない。色々な人とお付き合いしていきたいのであれば、言葉で枠をはめられないような部分までその人をしっかりと見ていくつもりでいないとダメだなあと思うんです。文章でも、世間の評価が高いから良いとか悪いではなくて、この文章はこういう書き方をしている、こういう表現を通して、こういうことを伝えたいのだなということを自分の中で消化していかないと勿体ないよなと思っていて、そんな態度でいることが、もしかすると関係しているのかもしれません。
福冨:そのきっかけは、何だったの?
橋本:川端康成の「雪国」を読んだときに、これは本当に美しいなあと。この美しさはどこから来るのだろうと考えて、自分なりに表現を分析した経験が大きいかもしれません。そのあとに接した村上春樹の本なども、川端康成とは違った、独特の雰囲気を感じて、その文章の魅力を自分で見出していくことが愉しみになってきたということだと思います。
福冨:川端康成にしろ村上春樹にしろ、世界の人々が認めている作家だものね。修学旅行でルーブル美術館の近くの露店で「雪国」見つけたときは、うれしかったものなあ。
橋本:そういえば、英語クラスのネイティブの先生方も川端康成派と村上春樹派とで論争していました(笑)慶應の面接でも、「あなたのゴールは何ですか」と聞かれたので、そのような作家のように、心の中を自然に語れるようになるのがゴールですと答えました。
福冨:格好いいね(笑)それにしても、そういう読書の仕方は誰もができるものではないような気がするけど.
橋本:最初に感銘を受けたのは、手塚治虫の「ブッダ」です.
福冨:ああ。ぼくも同じ頃に読んで、ハマったね。あれは凄いよね。
橋本:はい。凄い作品ですね。三周くらい読みました。
福冨:「漫画イコール低俗、小説は高級」といった偏見が完全になくなった記憶があるよ。絵があるかないかの違いだけで、伝えるという本質は変わらないからね。
橋本:あのような作品を読んで、小説とかマンガなどといった媒体の違いで偏見を持つのはおかしいと思うようになった面もありますね。それが先入観を捨てて物事をみるようになったきっかけなのかもしれません。
福冨:人間は大きくなるにつれて、固定観念などができて、鎧のようにして身を固めてしまうから、一度すべての鎧を脱ぎ捨てて、じっくり考える時間を持つ必要があるかもしれんなあ。大人の方は(笑)
後輩に対するメッセージ
福冨:後輩に対して言っておきたいことはあるかな?
橋本:世の中で言われていることというのはものすごく一般的なことなのであって、そこに無理やり自分を当てはめようとせずに、自分の思ったことを素直にやっていくことがとても大切かなと思います。自分の考えが正しいかどうかをどうしても確かめたくなると思うのですが、そういうことをあまり気にせずに、例えば他の人が気に入らないような趣味であっても、自分がそこに価値を見出しているのであれば、それをとことんやったりだとか…。
それと、これはJALの社長の方も言っていたらしいのですが、物を好きになるのは、もともと好きであるというだけではなく、それをとことんやっているうちに好きになるということもあるわけです。だからその練習の一つだと思って勉強をとらえてみたらやりやすくなるのではないかなと思うのです。勉強ももともと好きだという人はあまりいないだろうけど、そのようにとことんやることで好きになることができれば素晴らしいことではないかなと思います。
福冨:ハッシーの受け答えを聞いていると、自然体だね。どっしりと自信に満ち溢れているように見えていて感心するのだけど、そういう感覚はいったいどこからくるのだろうか。
橋本:自分ではあまりそういうつもりはないのですが。自分が持っているものに自信があるから提供するというよりは、自分が知っていることはこれだけだし、自分が持っているもので最高のものはこれだからこれをあげよう、これに自信を持たざるを得ない、といった感覚です。
福冨:多くの人にとってはそれが難しいのだよね。
橋本:確かに見ていて、あまり自分のことを話したがらないという人が結構多いのかもしれません。色々な人と話していても、気が付くと自分ばかりが話していて相手の人は何も話していないということがよくあります(笑)。
福冨:なかなか自然体になれないのだよね。僕自身のことについて話をすると、自分のことをよく見せたいという欲が自分の中にあるときには、大体うまくいかない(笑)
橋本:自分にもそういうことはあります。入試の面接のときにそういう気持ちになりかけたので「いや、俺はいつもの俺で行くぞ」と凄く意識していました(笑)やっぱり人によく見てもらいたいという気持ちはありますが、それをやってしまうと今までやってきたことが勿体ないと思うんです。
福冨:そうだね。今までの自分を否定することになってしまうものね。
理系科目の受験対策
福冨:ところで物理の話だけど、よくできたな。教えているこちらが助かったくらいだよ。ハッシーが理解してくれるから、他のみんなに強く迫れたというか…。いつ頃から物理に目覚めていったのかな。
橋本:中学生のときはあまり意識していなくて、高校になって福冨先生の授業を受けるようになってから、できるようになったと思います。
福冨:きっかけは何だった?
橋本:力学の捉え方で、物事を単独に考えていくことで問題がよく見えると教わったことがきっかけだったと思います。
福冨:ああ、あれか。「誰が」「誰に」「どうしたの」という具合に分解していくことが大事だと話していたやつね。それを曖昧にしたまま問題に答えようとするからみな混乱するのだよね。クリアにすれば、見えてくるはずなのだよ。そういう意味ではシンプルな科目だよ。
橋本:そうですね。物理、特に力学の問題を解くのは楽しいですよ。これだけ文章が書かれているのに、ある一つのことに注目すれば、ほかのことは考えに入れなくてよいという状況は、なんてシンプルなんだろうと思います。
福冨:「宇宙は中庸を保とうとする」という語録もあったよな。
橋本:宇宙の全てはバランスを取る方向に動こうとするから、そのことから考えると、答えはだいたい計算する前に分かるというものでしたね(笑)
福冨:基本的に物理は自然法則を扱っているのだから、それを前提に考えると細部に迷い込まないですむはずなのだよ。専門が深まれば別だけど、高校の物理は入口だけだから。
橋本:その点、数学は大変ですよね。受験の最後の追い込みは数学ばかりやっていました。
福冨:数学は奥が深いから、やってもやっても終わらないという感覚だよな。これから大学生になるとだんだん今までのような付き合い方はできなくなるから、もっともっとホームルームで話をすればよかったなと今になって思います。打算なしに自分を表現できるのは高校生時代くらいだからね。
ハッシーがクラスにいてくれて、みな刺激をもらっただろうし、クラス担任として本当にありがたかったよ。他のみんなも個性的だったよな。ホームルームでみなが思いを語ったことなど、感慨深いよ。あのクラスで担任ができたのは幸せだった。定期的に集まろうね。