3学期が始まってすぐの時期に、本校恒例の百人一首大会がありました。中学生全員が集まる大会です。ここで校長挨拶をすることになっていたわけですが、頭の中がアクティブラーニングモードになっている私としては、生徒にこんな問いを投げかけることから挨拶を始めました。
「うちの校名にも使われている言葉で下の句が始まる歌を探してください」
おそらく百人一首のすべての歌を暗記している生徒にとっては上の句を詠んであげれば、いわゆる「決まり字」のところでパシッとかるたをとるのでしょうが、こういう出題には慣れていないのでしょう。一瞬「校名?」と考えるわけです。「かえつ」「有明」といった単語を頭に浮かべながら、同時に下の句にそういうものがあったかどうか頭の中で照合作業が始まるのですね。しばらくしてから、「ああ」という感じで、「ありあけのつきをまちいでつるかな」のかるたをとるのです。
ここで面白いのは、有明の月というこの短歌のキーワードとも言える語句が、暗記の対象となっているために、明け方のイメージや、有明というこの場所との連想をほとんど持たないままに、頭の中に格納されているという事実です。私はこれが無駄だと言いたいのではありません。暗記するときの脳の働かせ方と、イメージをふくらませる時の脳の働かせ方が違うということが興味深く感じられたのです。
私が先の問いを思いついたのは、百人一首の中に「有明」という言葉が入っていたような気がするというおぼろげな記憶があったからでした。つまり、かつて百人一首を覚えた経験があったからこそ、それを想起することができたのです。そういう意味でも、暗記は決して無駄なものではありません。
一方で、私の中で湧き起こって来たのは、この下の句が続くような上の句を考えてもらったらさぞかし面白いだろうなという気持ちです。やってみたくてうずうずしたのですが、時間も限られている挨拶の場で、しかもかるたを楽しみにしている生徒の前でさすがにそれはできないので、ぐっとこらえました。
夜明けの月を待つことになってしまったという下の句につながる上の句は、色々なストーリーができそうです。この試みはまた別の機会にやってみようと思います。
本物の方の歌は、せっかく上の句も覚えたのですから、どんな気持ちがそこに込められていたのかを調べたりして、昔の日本人の暮らしを想像してみてほしいなと思っています。
そういえば、最寄り駅の東雲という地名も素敵な意味があります。ご存知ですか?それではまた。