【かえつ有明2020】~石川校長のビジョン(40)~私の教育観の根っこ~

DATE : 2016/3/5

おかげさまで、私の著書『2020年の大学入試問題』が結構売れているようで、重版となりました。書店で平積みになっているのを確認すると嬉しくなってしまう自分がいます。売れているのはありがたいのですが、私のことをよく知らない人からの反響もそれなりに増えてきて、私の教育の根っこというか、依拠しているベースがどこなのかと、気にされている方も少なからずいるようです。 

そういうわけで、今回は私の教育に対するスタンスを話しておきましょう。とは言っても、何か特定の教育理論とか、どこかの国の教育制度を信奉するなどということはありません。基本的に私は、子どもたちが世の中で生きていくために必要だろうと思っていることを実践しようとしているだけで、これは教員になったばかりのころから同じです。21世紀を生きる上で必要だと思う教育を推進したいと思っているのであって、20世紀型の教育だからダメだと烙印を押そうとしているわけではないのです。 

そもそも20世紀型とか21世紀型と言われる教育の定義も人によって様々です。日本の教育でしばしば悪者扱いされる知識偏重、詰め込み教育にしても、ある時期までは有効だったわけですし、今でもそれが必要とされる領域はあると思っています。PDCAサイクルを忠実に行い、結果的に高品質のものを生産するということに関しては、日本は世界中から高い評価を受けている。時間にも正確だし、色々なことがきちんとしている、安心できる国です。こういう技術や品質を支えているのは、これまでの教育なのだと思います。 

 しかし、これだけではどうも子どもたちが未来を生き抜くことが難しそうだと感じるのも正直な気持ちです。自分が海外で暮らした時の経験を思い出したり、海外教育事情の視察に出かけたりした時にはやはり、日本にいては見えないことが感じられたりするわけです。 

もちろん、ある国や地域に独自の教育が根付くには理由があって、アメリカの文化的多様性は、自己主張やクリティカルに考える習慣を育てたでしょうし、ヨーロッパの長い歴史や伝統は、やはり哲学的な部分を重視する教育に大きな影響を与えていると思うのです。アジアはアジアで、これから発展していくために効率性を重視した部分が大きいと言えます。 

そういうもののフュージョン型が、言ってみれば、私の教育に対するスタンスです。必要だと思うものを採り入れ、最善のものを子どもたちに提供したいということなのです。 

色々な教育理論は参考にはできますが、厳密にそれを適用しようとすることよりも、自分なりにアレンジした「フュージョン型」が好みです。こんなところが、「自分軸」と「モヤ感」を重要視するところとつながっているのかもしれません。
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講談社

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