【かえつ有明2020】~石川校長のビジョン(41)~グローバル教育について再び~

DATE : 2016/3/14

早稲田大学の国際教養学部に進学して、現在はドイツに留学しているうちの卒業生がいます。その生徒が、以前フランスでシャルリー・エブド社が襲撃された事件があったときに、フェイスブックに自分の思いを綴っていました。 

そこには、すぐ隣の国で起こった大事件を前に、何かしなくてはという強い思いと、一体自分に何ができるのだろうかという無力感のようなものとが表現されていました。 

私はそれを読んでいて、正直凄いなと思いました。「あなたは誰ですか」という哲学的問いにしっかりと向き合っていることに心を打たれたのです。きっと彼女は、それなりのことをコメントできるだけの知識や体験を持っています。民族や宗教についての知識も豊富に持っていて、だからこそ国際教養学部を志願して進学したのですし、海外留学も何度も経験しています。しかしそれでも、すぐ身近で起こった世界の現実を前にして、今自分が持っている知識の中ではとても事態の判断ができないと意識されたのだと思うのです。 

実は、そういう気持ちこそが学びを推進していくのですね。私は、これが本当のグローバル教育なのだと思います。よく、グローバル化する社会の中で、多様であることが重要だと言われます。それはまったくその通りですが、問題はその先で、その多様性がコンフリクトを起こしている現実をどのように解決していくのか、その知識や知恵が求められているのです。 

かつては、理想とするイデオロギーがはっきりしていて、AでなければBといった自分のポジショニングが比較的楽でしたが、今の時代は、問題が複雑になっています。例えば、貧困や経済格差が問題だというのはもちろんそうなのですが、だから資本主義はよくないのだという単純な理屈にはなりません。 

今の若い人は、意外とそのあたりを冷静に見ているように思います。だから、見方によっては社会への参加意識が薄いように感じられてしまうのかもしれませんが、市民運動的なものに距離を置きつつも、少しずつ自分の考えをはっきりさせたいと考えているのではないでしょうか。 

そういう若い人にやれ選挙に行けとか活動をしろと迫っても意味はありません。むしろ彼らが感じているモヤ感に学びの方向を示すような教育が必要なのだと思います。 

モヤ感が発生して、そこから探究が始まるというのは、学びの本質です。自分軸を確立させながら、海外で卒業生が頑張っていることが嬉かったので、グローバル教育についてまた書いておきました。

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