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【ATOM26】自動運転の時代に解決を迫られる倫理的問題:トロッコ問題

DATE : 2018/8/27

自動運転システムの実用化はもうすぐそこに来ていることは前回のブログ-25で述べました。残された難しい技術的問題も間違いなく解決され、完全自動運転の時代になると思います。しかし、技術的問題が解決されればそれで良い、という訳にはいきません。その一つがトロッコ問題です。

 

トロッコ問題(trolley problems)はP. Footが1967年に提起した倫理学的な思考実験がその起源となっています。さまざまなバージョンがありますが、基本的には次のような二択の問題です。

「図に示すように、制御不能になったトロッコが突進しているとします。そのまま直進すると、その先には5人の作業員がおり、5人全員の命が奪われてしまいます。しかし、分岐器を操作して別の線路にトロッコを導くことができます。ただし、分岐先には一人の作業員が作業中であり、トロッコを分岐させれば、その人の命が奪われることになります。分岐器の傍にあなたがいるとしましょう。分岐器の操作をせず、トロッコをそのまま直進させ、5人が犠牲になる方を選びますか,それとも分岐させて5人を助け、一人を犠牲にする方を選びますか?」

 

ここでは法的な責任は問われないとされ、道徳的・倫理的な側面からの判断が求められています。一人を犠牲にしてでも5人を助ける方が良い、と考えるか、例え5人を救うためとはいえ、その目的のために一人を勝手に犠牲にすることは許されず、何もすべきではない、とするのか、正に道徳的・倫理的なジレンマの問題です。

 

この問題には色々な派生問題が考えられます。興味ある方はウィキペディアに詳しく出ていますので、以下のサイトにアクセスしてみて下さい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%B3%E5%95%8F%E9%A1%8C

 

倫理的なジレンマの問題は他にもあります。例えば、臓器くじと呼ばれるもので、「臓器移植しか生き延びる手段がない人が複数人いるとします。移植しないということは見殺しにすることに等しい状況です。その人々を救うために、例えばくじに当たった健康な人の臓器を取り出し(その人は死ぬ)、それを移植することによって複数人を救うことは許されるか?」というものです。これもあくまでも思考実験のための設定であり、現実には在ってはならないことですが、人間の判断基準や価値観などを探る奥の深い課題を含んだものとして研究対象になっているものです。詳しくは以下のサイトをご覧下さい。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%93%E5%99%A8%E3%81%8F%E3%81%98

 

また、「溺れそうになっている5人を救うためにボートで救助に向かう途中で別の一人が溺れかけているのを発見した。その人を救おうとすると、その間に5人は溺れてしまう。この一人を救助すべきか否か?」という問題もあります。

 

完全自動運転システムの下で走行中にトロッコ問題と等価な状況に遭遇することは有り得ます。システムはどのように対処すべきでしょうか?これは現実に起こり得ることですし、それへの対応基準は人間の判断基準に沿い、社会的にも受け入れられるものでなければならないでしょう。次回は完全自動運転の車のブレーキが故障した場合を取り上げてみます。

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